大部分が石灰岩で形成されているこの島は、永らく無人島であった。明治に入り石灰石の採掘が本格化すると、続々と大手企業の鉱業所が建ち並んだ。昭和30年(1955)頃までは大いに賑わいを見せていたものの、石灰石の採掘量は次第に減少。鉱業所は閉鎖を余儀なくされ、島は本来の静けさを取り戻した。その後、かつての採掘場跡地からは真水が湧き出し、島には大きな池が出来た。
島に上陸してすぐに廃医院が見えてくる。周辺には人の気配が全く無い。令和4年(2022)現在の島の人口は約20人である。鉱業所の閉鎖後は、ミカンの栽培や漁業で生計を立てているようだ。
ひらがなと漢字の文章を用いるようになったのは、ごく最近のことで、昭和22年(1947)まではカタカナと漢字の文章が一般的であった。つまりこの注意書きは、それ以前に書かれたものということになる。
薄い板を合わせただけの簡易的な受付。建物が歪んでいるせいか、受付の板にはズレが生じている。
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